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2008年4月 1日 (火)

桜が好きで、好きで

  強風でさくら吹雪

ある免疫学者のかたが・・

思えば桜は、花の数が咲き過ぎである。
こんなに咲く必要はあるまいと思う。
花は植物の生殖器である。こんなに生殖器があるのは異常である。
しかも、この花は子孫を残す能力がない。
染井吉野は実を結ばない。 不毛なのだ。
不妊の生殖器が、こんなにもびっしりと付いているのは、いかにも
不気味である。
なにかセックス過剰なくせに、少子化になった最近の
若者を思い出させる。

以上 抜粋させてもらいました。

私は自分でもおかしいと思うくらい、異常に桜がすきです。
有名な桜を見にいく、とか、どこそこの桜は・・とか、ということは全く無く
身近な場所で咲く桜。 小さなお宮様に、また、人しれず山奥に咲く桜
どこに咲いても桜だけは、その花の下に立つ時の、なんともいえない
喜びと、ときめき・・・

そんな私が上記の文を目にした時、心底驚きました。
桜に関してこのような気持ちをもっている人もいらっしゃるんだ  と。
なんだか、人間というものは一人ひとり考えや感性が違うものなんだと
改めて感じた さくら についてでした。

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コメント

梅原猛という哲学者がいっていました。
日本人は、桜よりも梅の花を愛すべきではなかったか?と
散る美学よりも、強かに美しく生き延びて、梅干は後年までも役に立つ(後は筆者の加筆)
確かに、あの時代を生き延びてきた者達から観れば、かの戦争で死んだ人間などはさぞ虚しいことだろう。
反面、尊い犠牲の上に今日があることも事実。
そして、生き延びてきた者達は、多くの大切なモノを捨て去ってきたという事実も忘れてはならないのでは・・

投稿: 桜木さん | 2008年4月 4日 (金) 10時16分

たしかに、いにしえの日本人は、桜より梅
を好んでいたようですね。
凛とした佇まい、良い香り・・口に含んで
口臭を消す、奥ゆかしいしぐさ。
桜は悲しい思い出に繋がる と、いうこともありますね。
沢山の人々の想いがありますね。
桜には、梅干のようなものがないので
ちょっと実用的ではありませんね

投稿: かあさん | 2008年4月 4日 (金) 20時15分

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