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2014年8月11日 (月)

お盆が近いから来てくれたの?

夢を見た

朝がた 三時少しすぎ。 

ウ~ヤンが、ニコニコしてやってきました。
おくさん 元気だったかね? 色白のながい顔して、優しい目が
笑っています。

ハイ と手渡してくれたのは、紙袋に入った 暖かい焼き栗です。
ウ~ヤンの家の近くにある いつもの焼き栗屋さんのものですね。

ウ~ヤン 変わりなかった?  心配してたの。
ゴメンネ お見舞いも、お葬式も行かなくて お別れができなくて
いつも気にしてたんだ。

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ウ~ヤンは、ただ優しく笑っているばかりです。
大きくて、まつ毛の長い 馬のようなかわいい目 と いつか
言ったら ありがとう 馬で良かった と笑ったウ~ヤン。

連れ合いの遊び仲間 ウ~ヤンは お向かいの工場に働いて
いた人でした。   定年になってからも、早朝 ボイラーの点火
をする役目で来ていて、その仕事が終わると、我が工場に寄っ
て始業時間がくるまで休んで行くのが日課の人でした。

自分から何を話すわけでもなく静かで穏やかなオジチャンで
した。
ある日、奥さんが自転車でこけたのが災いして、寝たきりに
なってしまいました。
一人息子が居たんですが、旅行先で京都大学を卒業した と
いう女性と知り合って 電撃結婚をしてサッサとウ~ヤンと
寝たきりのお母さんを放って、婿養子となって行ってしまった
という 事情がある人でした。

何年かして、お母さんが亡くなり  そしてウ~ヤンもボイラ
炊きをやめて めったに逢えなくなったのでした。

二、三年前のある日

突然 息子さんから我が家に電話がありました。

「父が亡くなって 家を片付けるのですが、盆栽がたくさん
あるので父の形見と思って貰ってくれませんか?」 と。

ひどい と思いました。 ウーヤンのお隣さんに聞きに行くと
「お葬式もコレといってしないで、息子さん一人だった。 
お花の一本もないので、私は棺の上に庭に咲いていた百合
の花を乗せてやった」 と言いました。
突然 具合が悪くなり入院して間もなく亡くなった ・・・と。

事情というのもあったのでしょうが、連れ合いや友人たちにも
別れも言わず旅立ったウ~ヤンでした。
何処へ葬られたのか分からないウ~ヤンです。

奥さん 亡き後 一人で住んでいた、小さな平屋は、今は
草茫々  雑草の中に昔からあったキンカンの実だけが
遠目にも黄色い点で見えて 淋しい気がしたものでした。

その ウ~ヤンが来てくれたのでした。
なんで 連れ合いの処でなく 私のところへ?

ウ~ヤン 草ぼうぼうで玄関入れたの?
長い間の閉め切りの部屋で淋しいでしょう?

夢でも良かった  以前と変わらなくてよかった。
ウ~ヤンに聞いてみたいことがあったんだ。 ほんとに 背中
に般若が居るの?  友人たちと旅行に行っても、けっして
お風呂に一緒に入らなかったという人。

体にどんなものが彫ってあっても私たち変わりなく友達だものね。

今夜はビールを一本 テーブルに置くから飲んでいってね。

お盆だから こんな夢をみてしまったのか?    

ウ~ヤンにもらったアッサムサクラは良く咲いていっぱい
増えていますよ。 紅白の二色に いつのまにかなったんだよ。

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コメント

僧侶でもあった、私の恩師が生前「最近はお葬式をしないことが増えている」と嘆いていました。

わたしにはよく理解できないことです

投稿: 玉井人ひろた | 2014年8月12日 (火) 20時14分

>玉井人ひろたさま
お葬式というのは、亡くなった本人はともかくとして後に残る家族たちの為だと思います。
産まれて生きて この世を去る時のけじめというか、最後の締めくくりの儀式だと思います。
最近は直葬が多いそうですね。送る方の家族にとっては手間やお金もかからず煩わしくなくて楽なんでしょうか。
価値観の違いと言われますが、ナンダかねえ・・・悲しいですね。

投稿: 一人しずか | 2014年8月12日 (火) 20時48分

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