終戦記念日
その時 4歳になるかならないかの私には、ハッキリした記憶は
ありません。
母や姉弟と 母の実家に身を寄せておりました。
連れ合いの父は、軍人で中尉さんだったので、子供心にも
大変 父親が誇らしく、馬に乗って従卒を引き連れて帰郷した
父親の姿が強烈に心に残っているらしいです。
この頃が一番幸せな時だった
かもしれない と、連れ合いは語ります
終戦になって、どのくらい経ったのでしょうか、 ある夜
表の板戸をたたく音がしたので、開けてみると、軍服の
兵隊さんが立っておりました。
怖い顔した、知らないオジサン と思いましたが、復員してきた私の父だったのです。
いっぽう、連れ合いの父は、二度と帰ってはきませんでした。
戦死して、中尉から大尉へと、身分は立派になりました。
でも、もとの平和で、家族そろった幸せな家庭は二度と
できないのです。
しょうじき、それから以後の連れ合いの人生は、人にも
言えないほどの苦難の連続だったといいます。
戦争は なに一つとして良いことがありませんね。
ちなみに 雑炊 すいとん は見ると切ない という高齢
の知り合いがいます。 それから さつま芋 も ・・・
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コメント
幼い男の子が、馬に乗る父を習うように、凛々しく、三輪車にまたがっている様子が、かわいい写真ですね。
ひとりしずかさんのお父様は、無事帰って来られた時の感想を、後に何かおしゃっておられましたか?過酷な体験の後、故郷で可愛い娘さんを見て、やっと安らぎを感じられたことと思います。
戦争を知る世代が年々少なくなっていきますね。
投稿: 般若苑 | 2014年8月16日 (土) 20時20分
>般若苑さま
戦争は人の運命を大きく変えてしまいます。私の父は
戦争の話はほとんどしませんでした。私たち家族
を養う為身を粉にして働いて、70過ぎに病で・・わたし
父を今でも恋しく思い出します。
今でも、世界の何処かで殺したり殺されたり
これは、人間のどうしようもない本能なんでしょうか。
悲しいですね。
この可愛らしい幼子は、今は80歳になろうとしている
連れ合いです。この先、身の上に降りかかる不幸もしらず
に健気であどけない姿ですね。
投稿: 一人しずか | 2014年8月16日 (土) 20時48分
終戦の年、私の父は20歳、母は15歳でした。
父には召集令状がすでに来ていたことは以前書きました。
母は、その年の4月、現在の郡山市と本宮市に空襲が有り、とくに本宮の郡是工場(グンゼ工場)の空爆(死者500名)は実家から2~3Kくらいしか離れておらず、4歳くらいの弟をおぶって逃げたそうですが、恐怖のあまり足は空をかけるようだったと言います。
投稿: 玉井人ひろた | 2014年8月17日 (日) 19時39分
>玉井人ひろたさま
戦争を体験した人たちが、だんだん少なくなり、兵器は開発が進んで、まるでゲームのような感覚で戦争を捉えている人間が多くなってきてるような気がします。
若かったお母さんの背中におぶわれた弟さんは、きっと私と同年ですね。
戦争を体験したぎりぎりの年代と言ってもいいかもしれません。失うばかりの戦争、反対にこれで富む者も居る 世の中の不条理です。
投稿: 一人しずか | 2014年8月17日 (日) 20時47分