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2016年2月28日 (日)

若葉のような娘

日が暮れたころ、孫むすめから突然 「今から行ってもいい?」 と
電話があって、一泊することになった。

年より二人だけの暗い家の中が急に明るくなったような一夜だった。

翌日、新幹線で帰る彼女を駅まで送って行った。

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改札口を通って、階段の途中で振り返って手を振る娘。

登り切ってまた、振り返って手を振って ・・・ ぱんぱんに膨らんだ
黒いリュックを背負った姿が見えなくなった。

姿が見えなくなっても暫く立っていた私は、、、  突然思い出した。

そういえば、彼女の母が、結婚したばかりの頃、一人でわが家に
やって来たことがあった。
あの時も、今日とまったく同じ場所で同じように手を振って別れて
 行った。、

あれから20数年たって、母とその娘の全く同じ場面。夢みたい。

孫娘は女の子としては、一風変わった海洋生物の研究等を学んで
いる娘だ。

若いということは、それだけで素晴らしいとおもう。
柔らかい若葉がグングンと育って枝を広げていくような勢いを
感じさせる。

この穢れをしらない、ひかり輝いて愛くるしい、この子の幸せを
神に祈りたい気持になってきた。

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2016年2月22日 (月)

生活を支えてくれた場所

小さなスパナが欲しくて雨の降る午後 仕事場へ探しに行った。

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この場所に大きな旋盤を据えてあった。 ボール盤や洗浄機も。
鉄骨で作ったキャスター付きの大きな作業台に、部品をいっぱい
広げて若い衆が仕事に没頭していた。モートルブロックが動く音
油の匂い、、、、、今でも鮮明に目に浮かぶ ・・・

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たくさんの工具類、機械類、器具など、最後には欲しい人たちに
惜しげなく使ってもらうことにして、みんなやってしまった。
残った大量のホルマリン線(銅線) キャプタイヤの類は同業者が
半値で買ってくれたっけ。

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小さなモンキースパナを私用に探し出した。

こうして見ると、まだまだ役に立ちそうなものがありそう。。。。
欲しい人が居ればあげるのに・・・最後の片づけの時には、どうせ
クズ鉄と一緒に処分になるだけだと思う。

ここで、朝から晩まで汗水流して一生懸命働いてやってきたんだな。
こうして、静まり返った仕事場を見ると、改めてまた感無量になって
くる。

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2016年2月13日 (土)

幾つになっても我が子は我が子

現在は、台北で仕事をしている長男が旧正月の休暇をとって
一年ぶりにわが家にやってきました。

久しぶりに出会っても、生来が無口な長男は特別な話をするでもなく
また、同じく無口な連れ合いと語り合うわけでもなく、それでも和やか
な雰囲気で過ごして、そして帰っていきます。

長男は台北、その家族は埼玉県、そして私たち二人が住む静岡県と
離れています。

つい数年前には次男までインド駐在で家族全員が離れ離れでした。
現在は同じ市内に次男が戻ってきてなんとなく安心感を憶えますが。

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二人の息子が大学進学で家を出ていき、夫々が就職をして社会人
になるまでが自分だけの子供として、誰がなんと言おうと気が済む
まで思い残すことなく可愛がってやろう などと、自分勝手に思い込
み、生き甲斐としたバカな母親でしたね。 私は ・・・

男の子は結婚したら、もう我が子であって我が子じゃない

子離れできない、べたべたの親にだけにはならい と決めました。

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ところが ・・・最近になって、一年に一度訪れた長男が帰っていくと
なにか、無性に寂しく感じるようになりました。

今回は特に、連れ合いが弱くなってきているので来年は元気な姿
で会えるのか と余分な心配をしてしまいました。

たぶん、長男は何も言わなかったけれど、一年ぶりに出会った
父親の弱った姿には驚いたのでは?

これが、海外でなくて地続きの日本に居てくれれば、安心感も違っ
てくるものを・・・
アメリカとちがってまだ台湾だから ものは思いようだけども。

高齢になってくると、どうも考えが後ろ向きになっていけません。

長男が初めて私の元を離れて一人暮らしを始めたとき、私は
ご飯は食べたか? 不自由をしていないか? などと、それば
かり心配で、暫くの間思い出しては泣いていたものでした。

まったく、バカな母親でしたが、それはごく短い間のことでした。
結婚した時も、覚悟していたので平気でしたのにネ

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2016年2月 2日 (火)

老いていくのを見るのは辛い

いつも楽しみに見ている読売歌壇で、こんな歌をみつけた。

小さく切りし餅 食べ終えてしまうまで息子は箸を休めて見ており

仙台市の80代女性の作品だそうです。

なんて、親孝行な息子さんでしょうか。情景が目に浮かぶようです。
羨ましい気がします。ほのぼのとした気持になりました。

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連れ合いは、私より6歳ちかく年上だ。

一緒に仕事をしていた時は、あまり年の差というものを感じたこと
はなかった気がする。

それが、仕事を辞めて二人とも家に居る生活をするようになってか
ら、相手の一挙一動作になんとなく 年をとったナァ~と感じること
が多くなってきた。

動きに滑らかさが無くなって、膝小僧が曲がっている(足がスッと
真っ直ぐ伸びていない)

腰が前屈みになってきた。 歩みが遅くなってきた。

耳がとっても遠くなって会話に不自由するようになってきた。
何十万もする補聴器は面倒 と放り出してある状態。

物忘れが多くなった。 食事の姿がだらしなくなってきた  等々

長年肉体労働をしてきた連れ合いは、同年齢の人より老化が
進んでいるような気がする。
毎日の仕事 役目は、犬の散歩朝一度だけ。

テレビを見ながらいつの間にか居眠りをする姿を見るとき、私の
胸は、なんともやりきれない想いでいっぱいになってくる。

5年後 自分もこんな姿になってしまうのか?
ちょっと不安。

年をとって老ける 外見は誰もが年相応に老けるのだろうが、
内面、精神面は個人差があるようだ。
精神が老いる 若々しいというのは、その人の今までの生き方
や、性格が大きく影響するのではないか?

せめて気持くらいはいつまでも若々しくしていたいものだ。

二人きりになった今。相手が弱々しくなっていくのを見ているのは
辛いことだと、最近しみじみ思うようになってきた。


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