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2018年4月21日 (土)

牛のにいさんは90歳になりました

今年は、気持ちや時間にゆとりが無くて、お山の桜を見ることが
できませんでした。

自分の気持ちを切り替えるためにもいいのでは?とも思って、
本当に久方ぶりで、お山に登って行きました。

森の入り口で、軽トラを止めて、伐採した松の木の丸太を
積んでいるお爺ちゃんがいます。
よく見たら、久しぶりの、牛のにいさん でした。

にいさんは、初め私が誰だか分かりませんでした。
ホラ あの青年の向かいの家のワタシですよ。

あれ? 青年のお母さんだっけ? と会話が噛みあいません。

そのうち、にいさんが段々思い出してくれました。

血色は良く、敏捷そうで、依然となんにも変わった所は
ないようですが、話を聞くと、今年90歳になったそうです。

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いろいろ話していて、お母さんが(奥様が)、この3月に亡くなった
ということを聞きました。

まだ日にちも浅いのに、にいさんは健気に、こんな作業に
精出していたのです。  きっと作業をすることで淋しさや悲しみ
を紛らしていたのでしょうね。

俺が先に逝くとおもっていたのに、おっかさんが先に逝って
しまって困ったな と思ったよ。

と、にいさんは笑顔で言いました。
90歳にもなって伴侶に先立たれるなんて想像しただけでも
涙がでます。

きっと、にいさんの心は涙と落胆と淋しさが溢れそうでしょうね。

この次登って来るときは、せめてお母さんへの御仏前を
用意してこよう と思いました。

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久しぶりの山荘はそろそろ雑草だらけに。
チゴユリが群生していたのは嬉しかったです。

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思いがけなく、大昔 実家に咲いていた母から株分け
してもらったイチハツが一本だけ咲いていました。

とっくに消えてしまったとおもっていたのに、いきなり
亡くなった母に会えたような気がしてジンとしました。

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卯の花も咲いています。

山荘の雨戸をあけ放ち、風をとおしました。
ボイラーや水回りの防寒も片づけて掃除機をかけました。

私の嫌いな大きな蜘蛛の死骸や、夥しいカメムシがコロコロ
いっぱい転がっています。

生きた蜘蛛が素早く逃げていったり、カーテンからバサッと
落ちてきたり、これが一番苦手なんですが。

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お昼は、チョビチャンを抱っこして、この二か月あまりの私の
出来事を青年に洗いざらいぶちまけっちゃって、心許して
涙を見せてしまいました。

不思議なことに、青年は黙って聞いてくれるのでプライベート
のことでも、つい話してしまうのです。

私はおかげで気持が楽になって、反対に青年はウンザリかな
などと思いますが、「ボクも人に言わないことを聞いてもらったり
してるので」 と ニコニコしているのです。

泣いている癖にオニギリを一個食べてスッキリしました。

草取りをしている時、 そういえば、あまり良い天気なので
もう使用することも無い? 連れ合いの寝具を干してきた
のを思い出しました。

日が沈むまでに急いで帰らなきゃと、 早々にお山をおり、
顔なじみになったガソリンスタンドで注油し、一時間かけて
帰宅しました。

連れ合いの布団類はホカホカ  あぁ この布団に休ませて
あげたいなあ と思いましたが、涙はでませんでした。

青年と話し、お山の空気を吸って、少し強くなったような
気がしてきました。

いつまでもメソメソしてはいられませんからね。


 

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2018年4月 6日 (金)

自分がこんなに弱い人間だったなんて

迷って 迷って 100年分も頭を使って考えました。

住み慣れた自宅で暮らすのが、連れ合いにとっては一番安心な
こととは、誰が考えても分ります。

一か月以上病院へ通って、看護師さん、ワーカーの方、介護経験
の方などプロや、同じような状態の入院患者の保護者の家族など
奥様やご家族に話をたくさん聞くことができました。

高齢所帯でどちらかが介護が必要になった場合の事情や現状など
、今まで考えたことも無い厳しい現実を初めて知って、途方に暮れる
想いで落ち込みました。

鬱になっていたようです。食事も喉をとおりませんでした ・・・

そのくせ、疲れ果てて夜は死んだように眠れるのが不思議でした。
早朝 ふっと目覚めて、またまた思いがいったりきたり ・・・

つれあいを、このまま施設に転院させる自分は薄情な人間か。
自宅介護では、 奥さんが倒れてしまう、 どんなにサービスを
利用しても一緒に居る家族の負担や心労は大きい。

プロに任したほうがいい。 勿論患者の状態にもよるが
共倒れになったら子供たちがより以上に大変なおもいをする。

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頭が痛くなるほど、毎夜、毎日考えました。

施設に入所させるということは、けっして人の道に反することでは
ない。引け目や負い目を感じることではない。

だいいち、そんなふうに考えるってことは、介護に携わる人たちに
失礼でしょ。あの人たちはプロですよ。
安心して任せなくてどうするの? 

時間や気持ちに余裕ができたら、毎日でもご主人に会いにゆけば
いいと思う。奥さんが元気なのが一番よ。

おりにつけて励ましてくれた看護士さんやワーカーさんたち。

・・・・ そして、施設入所を決心した私です。

ですが、この世界の現実を嫌と言う程知りました。

希望する、本人により良い施設を と思ってもないのです。
無いのではなくて、入所希望者が多すぎておもったように
選ぶことができないのです。

民間の高額のシニアハウスや、介護付きの施設は入居費用
が高額で、先の見えない将来には資金の不安があって誰にで
も入所できるものではありません。

あぁ~人生 結局お金なんだなぁ~ 現実を嫌と言う程実感。

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院内の相談センターの計らいでようやく自宅に近い施設に
入所できることになりそうです。

同じ状況におかれている知り合いになった奥様は、施設は
経費がかかってわが家では無理、どうなるか分からないが
自宅に帰るしかない と言い、もう一人の方は自宅から遠い
施設しか空いてないということで、退院を迫られているので
そちらへ行くしかない と話していました。

私なんか、自宅の近くになりそうで本当に運がいいのかも。

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悲しいけれど、諦めの心境で施設入所の衣類の支度を
始めました。

諦め 悲しい なんて言葉はイケナイ。
でも、言葉では言えないくらい複雑な気分なんです。
下着やパジャマやシャツを必要量選んでは切なくて泣きます。

車いすに敷くクッションも買いました。
寝ていて、膝や腰に当てるクッションもビーズの柔らかいものを
買ってきました。
我が子を送り出す母親の気持ちみたいです。
我が子の時は希望に心も弾んでいたものでしたが ・・・

 

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