泣くまいとしても涙が後からあとから・・・
夕方近く、NHKの再放送で 彼女は安楽死した という番組を
偶然見ました。
筋力が日増しに衰えて、進行すると呼吸器を使用しなければ生き
てゆけないという難病をもつ50代の女性が、スイスで安楽死を
遂げるまでの記録でした。
二人の姉に感謝の言葉を伝えながら、笑顔さえ見せて眠るように
逝くすがたを見て、私は一人泣きました。
このように、気高く清く、家族に感謝の言葉をつくして旅立ちた
いものです。
こんなに泣いたのは、昨年の夫の最後の情景がよみがえったから
でした。
2月の寒い夜。夫はベッドへ入ろうとして転倒したのでした。
起き上がることもできず、あまりにも痛がるので救急車を頼み
ました。
大腿骨骨頭骨折で即手術をして、経過も順調で、あとは
リハビリを頑張れば、なんとか日常生活ができそう と
いうところまできたのに、誤嚥性肺炎を発症。
その為にリハビリが遅れ、なんとか落ち着いて4月に退院を
強制させられました。
自宅では設備が整っていないので、取り敢えず老健という施設
に受け入れてもらいました。
その施設で、再び誤嚥性肺炎になり、また入院治療を受け
なんとか回復したので、同じ施設に戻りました。
皆さんと一緒にお食事ができて暮らしが始まったのに、また
肺炎をおこし、徐々に弱っていきました。
もう治療も無理、胃ろうという栄養補給も昔、胃の手術をして
あるので夫には出来ない。
鼻からの栄養補給でも、高熱がでて・・・
点滴だけではとても栄養補給にはならない・・・
このまま点滴だけで長くて二か月くらいしか生きていられません。
覚悟してください・・・
そして、医師に告げられたその日から、看取りの日々に入り
ました。
一日 一日がお別れの日に向かっていく毎日でした。
初めのころは、うっすら意識も戻って,にっこりとほほ笑んだり
手をあげて(ような)また来るからね という私の言葉に反応し
たりだったのに、しっかりしている時間が少なくなって・・・
緊急の連絡のために電話はいつも持っていてください
と言われていました。
緊急時、夜間の付き添いを次男が一夜してくれた時には、私は
ユックリお父さんと別れの時が過ごせて良かった と思いました。
海外出張に発つ朝は、珍しく父親の顔を見てから出かけました。
きっと、虫が知らせていたんですね。
数日後、夫が亡くなった時には、長男、次男は海外に・・・
あの時の状況は以前に記したとおりです。
今だから、思い出して話せるようになりましたが、あの
看取りの期間の様子、最後の時間は思い出さないように
していました。
きょう、テレビ番組を見て、安楽死を見守った家族の
方の悲しみが痛いほど私には伝わったのです。
夫も最後は安らかに静かに旅立って、そのことがせめてもの
私の慰めになりました。
慌ただしい年末に、こんな話をするなんて・・・
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コメント
思いっきり泣きましょう。それが一番です
投稿: 玉井人ひろた | 2019年12月29日 (日) 20時19分
>玉井人ひろたさまへ
健在の時は、それほど大切な人とは感じなかったのに、イザ居なくなったら自分でも意外なほど喪失感が強かったです。不思議なものです。
余計なお世話ですみませんが、奥様を大切になさってくださいね(余計なお世話ダヨ)
今年も暖かいコメントをたくさん頂き、ありがとうございました。
ご家族様猫ちゃん共々、良い新年をお迎えください。
投稿: 一人しずか | 2019年12月30日 (月) 14時24分
私もそのテレビを見ましたが、若い人は、意思表示がはっきりしているのですね。
旦那様は、体力が亡くなっていく中で、思い通り表現できなかったかもしれませんが、一人しずかさんに見守られて、安心して旅立って行かれたのですね。
「寂風荘だより」を、今年も読ませていただき、いろいろ自分のことと重ね合わせて考えたりしていました。有難うございました。来年も楽しみにしています。
投稿: 般若苑 | 2019年12月31日 (火) 15時11分