2022年8月25日 (木)

お墓参りをしてきました

もう、四年が経った   まだ四年過ぎたばかり ・・

八月のきょうの夜は、連れ添いが旅立った夜です。

 

お父さん 心配しないで、私が最後までチャンと見届けて
あげる。 

今まさに逝こうとしている連れ合いの手を握って、他に誰も
居ない病室で過ごした時間 瞬間は、四年経った今でも忘れる
ことができない。 

なのに、その連れ合い自身が現在でも何処かに居る様な気がする。
この世に存在しないという事実が信じられない。

確かに見送ったはずなのに・・・

 

一人になっても、私は、ずうずしく、以前よりだらしなく、のほほん
と生きていて、もしかしたら、子供たちの顰蹙をかっているかも。

 

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午前中 一人でお参りに行くと

寺さん分譲の小さな墓地は、みんな仲良く知らぬ人同士が肩を
並べて細かい雨に濡れておりました。

久し振りに涼しくて気持ちいいですな~

いい雨ですねぇ ホットしますね~

などと談笑しているような雰囲気でした ☔

四年前のあの夜は、、、夜中に車をとりに行ったら、施設の
周りの田んぼで、カエルの声がさかんにしてたっけ。

そして、見上げたら、空に、まんまるお月様が恐ろしい程明るくて

優しく私を見てくれていた・・・

後に、同じ時刻、同じように、離れた名古屋の地で、姪っ子が同じ
月を見ていて、、オバサン あの夜は満月だったよね 私も見たわよ
と、教えてくれたっけ・・・

 

 

 

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2016年6月22日 (水)

あの子が好きだったはやり唄

雨がシトシトふっています。

体調がいまひとつすぐれないという連れ合いは、二階に上がって
寝てしまいました。
これも気にかかるわたしです。

夜のテレビも、これといって見たいものがありません。

でも、、、、なにか音がしてたほうがよさそうです。

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♪♪ おまえと呼ばれた気がしたの  雨に滲んだ酒場の小窓

    アナタ なぜなぜわたしを捨てた ・・・

    じんとお酒 心に燃えさせて   夢を追いましょ もういちど

妹が好きだった歌を渥美二郎がうたってました。

なおみちゃん  この歌大好きだったわね。

ねえさん、テープに録って持ってきてくれない?  入院して
いるとき妹はわたしに言いました。
なのに、わたしは忘れてしまったのです。

自由奔放に生きた妹。 病院のベッドで毎日どんなことを想って
いたんだろう。

きっと、夢追い酒のこの歌詞のような思い出があったかも。
妹であっても知らないことがたくさんあったのです。
いま元気に居てくれたならどんなに嬉しいことか、残念でなり
ません。

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妹が逝ってしまってから、二十歳の甥っ子が

「オバサン これ貰ってくれない」 と、ハートのデザインの
ブローチをわたしにくれました。
メレのダイヤが綺麗で、妹の形見として大切にしまってあります。

たまたま思いついて箱から出しては眺めて、お洒落だった妹を
しのんだりするわたしです。

雨の夜は淋しいものですね。 

福太郎まで早くから眠り込んでいるのです。良く眠る仔だわ 、、、、

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2016年3月21日 (月)

姉との約束

オバタリアンのブログは花ばかり ・・・と、皮肉屋のブロガーさん
が笑っていましたが、、、、花ばかりでいいのかもしれません。

 

政治のことも身近に起きる事件にも、世界じゅうの不幸な出来事にも
怒ったり嘆いたり涙したり、言いたいことは山ほどあります。

 

でも、この歳になればもう、たくさん。 もう何にも言いたくありません。
どうせもの申したって面倒なだけ、煩わしいばかりですからネ
高齢になると、面倒を避けて静かが、一番なのです。

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福ちゃんと散歩で通るたびに、うっとり見上げます。
春を喜んでいる花  ミモザは泡のかたまりのように黄色に
輝いています。

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先端のグリーンのドットが、ほんとに不思議。
より魅力的にと、神様は思いついて色付けしたんでしょうね。

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姉とわたし。  クリスマスローズには悪いのだけれど、
ほほ寄せて仲良く咲いた花を見て、昔の約束を思い出しました。

私たち、男の子しか生まなかったから将来高齢になって一人
ぼっちになったら、一緒に暮らそうか?
二人で、小さい犬か猫でも飼って静かに暮らさない?

約束してね  と姉は笑って言いました。

何故か、私たち 最後は伴侶に先立たれて一人残される と思い
込んでいたのですね。
二人で老後を過ごせたらどんなにいいか ・・・

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そんな姉も、カルチャー仲間の女性たちに仲間外れをされた
ことをきっかけに鬱になってしまい、最近では軽度の認知症
を患うことになって、あんなに繁くよこしたメールも打てなくなり
ました。

電話をしても、昔のように話は弾みません。
心から素直に話しをする相手がなくなって私は淋しくてなりません

二人の約束、まだ覚えているでしょうか。

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2014年10月13日 (月)

あれから何年も過ぎているのに

大型台風のせいで、明け方から降り出した雨が午後になって
烈しくなってきました。

静岡県地方は、深夜から暴風雨圏に入るということです。
夜中の暴風雨は恐ろしくて、また眠れない一夜になりそうです。

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衣類の入れ替えと整理をすることにしました。

ありったけの衣類箱をひっぱりだして部屋中に並べ徹底的に
することに ・・・
このさい思い切って処分するものはないかと広げて ・・・

思いがけないものがケースの底のほうから見つかりました。

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妹の危篤の知らせを受けて駆け付けた時、着ていたニット
の上着でした。

十数年も前のことです。  あのとき、午前中に病院へ着いて
妹を見守りました。

西の空が赤く、むらさきに 十二月二十九日の夕暮れは
怖いほどに美しい空でした。
妹の意識が、寄せては返す波のように何度もいったりきたり
しているとき 呼びかけた私の声に応えて一度だけ手を握り
返してくれました。

いまでも あの夕焼けが鮮明に思い出されます。

あのとき着ていた洋服を、大切にしまってある自分の気持ち
がわかるような気がします。
いつまでも名残惜しく仕舞っておかないで処分したほうが・・・

イエイエ 形見とおもって、再び着てみようか?
洋服を前にながいこと迷いました ・・・そして再びもとの位置
に仕舞いこんだ私です。

あの頃は、私も若かった。 なのに、ずいぶん地味な服を着て
いたものですね。
茶系のニットの洋服は、驚くほどしっかりしています。
デザインも田舎くさいけれど、今着てもおかしくないかも。

     どうしよう ・・・・

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2014年8月15日 (金)

終戦記念日

その時 4歳になるかならないかの私には、ハッキリした記憶は
ありません。

母や姉弟と 母の実家に身を寄せておりました。

連れ合いの父は、軍人で中尉さんだったので、子供心にも
大変 父親が誇らしく、馬に乗って従卒を引き連れて帰郷した
父親の姿が強烈に心に残っているらしいです。

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この頃が一番幸せな時だった

かもしれない  と、連れ合いは語ります

                   

終戦になって、どのくらい経ったのでしょうか、 ある夜

表の板戸をたたく音がしたので、開けてみると、軍服の
兵隊さんが立っておりました。
怖い顔した、知らないオジサン と思いましたが、復員してきた私の父だったのです。

いっぽう、連れ合いの父は、二度と帰ってはきませんでした。

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戦死して、中尉から大尉へと、身分は立派になりました。
でも、もとの平和で、家族そろった幸せな家庭は二度と
できないのです。

しょうじき、それから以後の連れ合いの人生は、人にも
言えないほどの苦難の連続だったといいます。

戦争は なに一つとして良いことがありませんね。

  ちなみに 雑炊 すいとん は見ると切ない  という高齢
  の知り合いがいます。 それから さつま芋 も ・・・


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2014年8月11日 (月)

お盆が近いから来てくれたの?

夢を見た

朝がた 三時少しすぎ。 

ウ~ヤンが、ニコニコしてやってきました。
おくさん 元気だったかね? 色白のながい顔して、優しい目が
笑っています。

ハイ と手渡してくれたのは、紙袋に入った 暖かい焼き栗です。
ウ~ヤンの家の近くにある いつもの焼き栗屋さんのものですね。

ウ~ヤン 変わりなかった?  心配してたの。
ゴメンネ お見舞いも、お葬式も行かなくて お別れができなくて
いつも気にしてたんだ。

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ウ~ヤンは、ただ優しく笑っているばかりです。
大きくて、まつ毛の長い 馬のようなかわいい目 と いつか
言ったら ありがとう 馬で良かった と笑ったウ~ヤン。

連れ合いの遊び仲間 ウ~ヤンは お向かいの工場に働いて
いた人でした。   定年になってからも、早朝 ボイラーの点火
をする役目で来ていて、その仕事が終わると、我が工場に寄っ
て始業時間がくるまで休んで行くのが日課の人でした。

自分から何を話すわけでもなく静かで穏やかなオジチャンで
した。
ある日、奥さんが自転車でこけたのが災いして、寝たきりに
なってしまいました。
一人息子が居たんですが、旅行先で京都大学を卒業した と
いう女性と知り合って 電撃結婚をしてサッサとウ~ヤンと
寝たきりのお母さんを放って、婿養子となって行ってしまった
という 事情がある人でした。

何年かして、お母さんが亡くなり  そしてウ~ヤンもボイラ
炊きをやめて めったに逢えなくなったのでした。

二、三年前のある日

突然 息子さんから我が家に電話がありました。

「父が亡くなって 家を片付けるのですが、盆栽がたくさん
あるので父の形見と思って貰ってくれませんか?」 と。

ひどい と思いました。 ウーヤンのお隣さんに聞きに行くと
「お葬式もコレといってしないで、息子さん一人だった。 
お花の一本もないので、私は棺の上に庭に咲いていた百合
の花を乗せてやった」 と言いました。
突然 具合が悪くなり入院して間もなく亡くなった ・・・と。

事情というのもあったのでしょうが、連れ合いや友人たちにも
別れも言わず旅立ったウ~ヤンでした。
何処へ葬られたのか分からないウ~ヤンです。

奥さん 亡き後 一人で住んでいた、小さな平屋は、今は
草茫々  雑草の中に昔からあったキンカンの実だけが
遠目にも黄色い点で見えて 淋しい気がしたものでした。

その ウ~ヤンが来てくれたのでした。
なんで 連れ合いの処でなく 私のところへ?

ウ~ヤン 草ぼうぼうで玄関入れたの?
長い間の閉め切りの部屋で淋しいでしょう?

夢でも良かった  以前と変わらなくてよかった。
ウ~ヤンに聞いてみたいことがあったんだ。 ほんとに 背中
に般若が居るの?  友人たちと旅行に行っても、けっして
お風呂に一緒に入らなかったという人。

体にどんなものが彫ってあっても私たち変わりなく友達だものね。

今夜はビールを一本 テーブルに置くから飲んでいってね。

お盆だから こんな夢をみてしまったのか?    

ウ~ヤンにもらったアッサムサクラは良く咲いていっぱい
増えていますよ。 紅白の二色に いつのまにかなったんだよ。

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2013年12月24日 (火)

ケーキやさんは大賑わいでした

昼間 お店は子供づれで賑わっていました。

冬休みに入ったし、クリスマスイブだし子どもたちは嬉しい
ことでしょうね。

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       こんなクリスマスもありましたね。

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今夜は風が氷のように冷たかったけれど、星はキラキラ
でした。

ミイチャンの姿はありませんでしたが、いつもの場所に
チキンを置いてきてやりました。

 ミイチャン プレゼントですよ。

               

          

           

  

 

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2013年5月11日 (土)

後悔することばかりです

昨夜から雨が降り続いてます。 時には烈しくなったりして。

さっきまで、音楽を聞きながらミシンを踏んでおりました。
音楽といっても、きょうは角川ひろしのCDを選びました。

雨の淋しい一日には、感傷的な演歌がピッタリですから

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 もの想いしながら布切れを縫ったり、切ったりしていたら、なんの
 きっかけもなく、連れ合いの叔母が亡くなった日が思い出されて
 きました。前夜、従弟から「母がどうもあまり長くないみたいです
 眠ったままで熱が続いているんですよ」 と電話が ・・・

 さっそく、いつもの施設を訪ねると、本当にコンコンと眠ってい
 ました。手も足も暖かくて、お洒落だったきれいな頬がホンノリ
 紅くなっていました。 これでお別れなんだと直感したのです。

 いつか、一度は 「長い間お世話になって有り難うございました
 どんなに感謝していることか、一度叔母さんにお礼が言いたか
 ったの」と素直に言ってみたいとおもっていたので、耳に口を
 寄せて小さな声でささやきました。

 表情は変わらなかったけど、なんだか耳を澄ませて聞いていて
 くれたような気持ちがしました。
 何度も サヨナラを言って手を握り ・・・帰ってきたのでした。

 その夜に叔母はそのままの状態で亡くなりました。

 お礼が言えてほんとうに良かった とおもいました。

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 でも、それからが毎日苦しかったのです。

 と、いうのも、私は自分の実の母が遠いこともあってずいぶん
 長いあいだ見舞いに行くことも無かったのです。

 母は晩年痴呆が進んで、あんなに帰りたかった自分の家に
 一泊さえも連れて帰ってもらえずにあっけなく亡くなったのです。
 叔母の亡くなるひと月もしない前のことです。

 一度 母に心からお礼を言ってみたい 言わなければ ・・ と
 思っていたのに。連れ合いの叔母には見舞いも欠かさずにいな
 がら実の母には見舞いもお礼も言わないまま一生逢えないこと 
 になってしまい、ひどい親不孝娘だと、自分を責めたのです。

 時々 発作のように 済まなかった というナントもいえない後悔
 の気持ちが湧き上がってくるのです。

 辛い想いはなんの脈拍も無く突然襲ってくるのです。
 ソンナ時は、一人をいいことにして ご免ね ご免ね と泣きます。
 演歌をガンガンかけて涙を流しながらミシンを踏んでいる様子は
 誰かが見たらふきだす光景でしょうね。

 つまらないけれど、これで幾らかラクになるものだと知りました。
 とりとめもないことばかり ・・・ 雨は呆れるほど降り続いてます。

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2013年3月21日 (木)

別れと旅立ちの春

卒業式帰りだろうか、和服に袴姿の凛々しい女の子たちの一団を
見ました。 明るくて華やかな浮き立った雰囲気が眩しいほどでした。

ご両親はさぞ嬉しいことでしょうね。 そして、彼女たちには明日から
どのような、新しい生活がはじまるのでしょうか。

 幸せそうな若いほほが美しくかんじられました。

74811 思い出せば、わたしの

中学卒業は岩手県の

山奥の小さな学校で、

30数人の仲間でした。

高校に進学するのは

半数足らず あとは

アァ 上野駅の歌では
 ないけれど、集団で就職のために別れて行くクラスメートが多か
 ったのです。

 仲良しも東京の理髪所へ、親戚の経営する工場へ、飲食店へ
 と、散りじりになってしまって、今はもう連絡さえとれていません。

 みんな、幸せに暮らしているかなぁ~  50代ころまで手紙の
 やりとりをしていたカッコチャンも、いつの間にか年賀状さえこ
 なくなって、返事もなくなってしまいました。 どこかで元気で居て
 くれるといいけど。

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 最近は読書するのも、目が疲れて大変になりました。
 でも、なにか読んでいないと落ち着かなくて困ったものです。

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2012年12月30日 (日)

いつまでも忘れないよ

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 12月29日  夜 湯船につかってわたしは泣きました

 ずいぶん年月が過ぎてしまったけれど、この日のことは一生
 忘れることはありません。

 あの日妹が48歳で旅立ちました。   苦しんで、苦しんで ・・・

 カァサン  カァサン と二十歳にちかい甥っ子は必死に今
 旅立とうとしている母を呼び続けていました。

 ちょうど、いままさに日が落ちようとしている夕暮れの空は
 雲も茜色に光って、オレンジ色のひかりのすじが妹に手を差し
 のべているような不思議な光景に見えました。

 悲しいのに 気持ちは真っ白でした。朝からズッとベッドの横に
 居て、しっかり妹の最後を見届けました。

 いもうとが いま旅立ちぬ茜空 迷わず逝けよ 父の待つ空

 など、うたったこともないのに不細工なうたが思い浮かぶのが
 私らしいナ と他人事のように思えたのでした ・・・

 そして、その翌年 一番最初に飼っていた 愛らしいマルチーズ
 の 雪丸が12月25日に病気で逝きました。
 入院していた酸素の部屋で ~ ~

 雪ちゃんまで失って、そのときペットロスなどという変な病気?
 になってしまいました。 ストレスが溜まっていたんですね。

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 歳をとると、昔のことが想い出される といいます。

 わたしも年取ったということですね。想い出は年月がたつと
 少し 甘悲しい、ほろ苦いお酒のようになります。

 静かなお風呂で妹やペットを思い出すのも自分なりの癒しかも。

 

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