2022年11月26日 (土)

食べることが命の喜びに

朝 六時前、辺りが明るくなるほどの稲妻が、そして
大音響の雷が繰り返し鳴り響き 激しい雨が降りました。

 

うす暗い、台所でテレビをつけると、

緩和ケア病院の患者さんに、最後何も食べられなくなった
時にアイスキャンディを食べてもらったら、とても喜んでく
れた、小さく砕いたアイスを、口に含んでユックリ味わって

ありがとう と、かすかな声で言ってくれた。と話す家族や
医師の話をしていました。

 

その番組を見ていたら、忘れてしまいたくて無理にしまって
あった事が突然、ありありと蘇ってきたのです。

アイスクリームやキャンディーを食べることが出来る患者
さんは、まだ幸せ(ふさわしくない言い方だとはおもうが)
わたしの夫は、繰り返しの肺炎で、食べたくて堪らないの
に意図しない絶食で、最後は枯れていくように旅立った。

餓死させてしまった。ということになる。 

徐々に枯れて倒れる古木をずっと最後まで見届けるような
せつない毎日でした。

断食が始まって、数日は、お腹が空いて辛かったのでしょう

・・ご飯を下さい  おやつを食べたい と力なく訴えて
いました  その声も、だんだん弱くなっていってさいごは
水分だけの点滴で。。

断食に入る前に、コッソリ飴玉を口に入れてやった時の嬉し
そうな顏、ジュースを口にした時の幸せそうな目。

夫が旅立ってから暫くは、自分が食事をするのさえ罪深く
おもえて、食べ物がのどを通らない気分で過ごしたものです。

どうせ死ぬなら、せめてお腹いっぱい、好物のお寿司でも
お刺身でも、甘い物でもイヤというほど食べてもらいたか
った。

朝から、涙がバカみたいに流れて、泣くまいと思うのに
声まであげて泣いてしまいました。

お母さんって泣かないんだね と言った長男が見たら
化け物でも見たように驚くだろな と、泣きつくして
一人で苦笑してしまった今朝のことでした。

 

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2022年9月12日 (月)

悲しくて哀しくてやりきれない~

ホラ、、また聞こえてきたよ

 

裏のお宅の築山に密着している我が家の西の窓から・・・

 

なんど言ったら判るんだぁ~ 目をつぶるなって
いうとるだろがぁ~  眠るなぁ~  

もう一回初めからやりなおしだあ  いちっ にっ!

それを追って、奥さんの声で いちぃ にぃ ・・

 

・・・96・・ 97・・ 途切れながらも奥さんが
ご主人について、ろれつも怪しく複唱していきます。

ようやく100近くまできました。

 

他人の家の会話などを盗み聞きするもんじゃない・・

そうは言っても、イヤでも聞こえてくるんですもの。
静かにしている私には無理なはなしです。

暑いから午前中は窓全開にしているんですから。

きっと、隣のお姉さんも二階の窓から聞いてるでしょう。

 

裏の奥さんは、私と同年。 可愛らしく明るい人でした。

年下のご主人は、それは見るからに怖い、険しい顔をした
男性で、横暴で我儘、クレーム言いで、近所の私達も敬遠
していました。

奥さんが、数年前に足を悪くして手術をし、暫く正常だった
のですが、今度は転んで歩行が難しくなってから、認知症が
少しずつ悪化してきたということで、週に何回かデイサービ
スに通っているようです。

デイに行かない日は、終日ご主人が奥さんの面倒を看ていま
す。

 

 ナンデ人が飯食ってる傍に来てワザワザションベンなんか
するんだあ~とか 寝てばかりいないで目をあけろ~ 怒声が
響いてきます。

ダカラ頭がバカになるんだ 恥ずかしいと思わんのか ・・・


眠っているのは、傾眠といって、病気の症状なんですね。

耳をふさぎたい 聞いてるだけで悲しく惨めになってくる。

ご主人が奥さんのリハビリに一生懸命なのは感心なんだけど
時々大きな罵声と、奥さんの泣き声が聞こえます。

 

100幾つだ? まだわからんのかッ もう一回やり直しダ

そして、執拗なかんじでまた、イチッ ニイ と始まって
奥さんの声が徐々に聞こえなくなって・・また耳を塞ぎ
たくなる怒声と、奥さんを辱めるような悪態が。

もうやめて もう帰る~ など、まわらぬ口で涙声で訴える
奥さん。

面倒を看るご主人も、気の毒だけど、奥さんも、、

このままいけば何か良くない事でも起こるんじゃないか?

二人とも倒れてしまうんじゃないか? 

心配なんだけど、近くに娘さんや息子さんも居ることだし
余分なことはできません。

ご主人の疲れとストレスが爆発するんですね。

介護は本当に大変 というのは私も僅かな期間だったけど
連れ添いの時の経験で、少しだけ判っているつもりです。

 

哀しいナ 人間年取るってことは・・・

私の最後はどんなふうになるのか心配になります。

私なんか、傍で心配、介助もしてくれる相方さえ居ない。


他所の家の出来事にいつも涙してる私です。

 

 

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2022年7月24日 (日)

昔の想いで話に花が咲いた

従弟 といっても、亡くなった主人の、70歳を少し
過ぎたおじちゃんですが。

私が、毎日の酷暑で最近お山へ行ってない と言うと
草刈り機まで用意して 「行って見て来よう」と来て
くれました。

 

車中で、とりとめもない話題から、、昔話になって、

高校生の時、ナオミちゃんから、ラブレターを貰ったことが
ある。ただし、オフクロが、勉強に障ると考えてか、隠してい
て、後にオレに見せてくれたんだけど・・・」

と、大昔の話を打ち明けてくれた・・ナオミちゃん とは私の
妹で、従弟と同年、出会いは我が家で二人は親しくなった・・・
らしい・・・

二人はその後、社会に巣立っていき、付き合いも自然消滅した
らしいが。

え~!ナオミって自分の妹だけど、積極的でおませな娘だった
のね~ と大笑い。

 

オレ好きだったから、その後、48歳で亡くなったと、聞いて
ショックだったよ  と。

私が結婚した頃は、従弟たちはまだ子供だったのですね。

田舎道を、一時間も自転車をこいで、我が家に遊びに来て
くれていたんです。
私の実家は、すぐ近くなので、妹も彼が来るとすぐやって来て、
今思うに、きっと二人は我が家をデート場所にしていたのですネ

 

この話から、大人になってから現在までの身の上話が始まって・・

笑ったり、泣いたり  年が離れても、私にはきょうだいのように
親しく付き合った主人の従弟と久しぶりに思い出話に花が咲きました。

山荘の草刈りは、無 さんざん喋って、帰りに、きょうは丑の日
いうことで、二人でうな重を食べて帰って来ました。

追記で、大人の話がしんみりあるのですが。

 

 

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2022年5月 3日 (火)

今日が何の日か、お休みなら嬉しいだけかな

 

4月30日 NHKスペシャル 立花隆 最後の旅

という番組を見ました。

亡くなって丁度一年。 

人間は、何処からきて、最後、何処へいくのか?

記録魔であったので、自身の最後の時も何か、メモ
の一つでも残して行くのか もし、この世から
あの世へ移動する瞬間の状況が判ったら初めての
真実が判るのに とバカな期待をしていました。
彼ほどの人物ならある程度の段階まで、なんらかの
手段で記録しているかも などと考えたのです。

 

あの世は存在しない 人間死ねば無になる

だから、遺体はゴミとして処分 墓もいらない。

書籍や資料は全て処分、何一つ残さなくていい。

癌を患いながらも最後まで考える人 でした。

お墓は、巨木の根元に樹木葬されています。
ジャーナリスト、学者 哲学者。 無学な私など
が彼について語るなんておこがましいですが。

わたしだけの世界で、思い込みのみで考えました。
立花隆という人は昔から気になっていた方でしたから。
番組を見ることができてほんとうに良かったです。

 

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2021年9月20日 (月)

町内会より敬老の日祝いを頂きました

この齢になっても、敬老の日のお祝いは、なんか恥ずかしい

 

Img_2206

町内会の理事さんが届けてくださいました。

 

いつもと同じ、紅白饅頭にお茶、そして,もう一個はなんでしょう。

細々 物でいただくより、現金にしてくれればいいんだけど と
内緒だけど、おもいます。

 

お祝いして頂いてるのに贅沢言うんじゃないヨ と叱られるかも
しれませんが。

それより、こんなことにお金を使わないで欲しいです。
納めた町費からまかなっているのだから、饅頭やお茶の葉よりも
もっと違うセンスあるものにしたらどうかなあ~

毎年思うのですが、年寄りは饅頭頂きながらお茶を飲んで寛ぐ・・

というイメージかな? 

 

高齢になることって、あんまり嬉しいことではありませんね。

むしろ、悲しい 淋しい不安なことばかりですから。

マッ 人によるんでしょうが  私の場合は です。

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2020年5月19日 (火)

自粛イコール怠惰なやる気のない毎日

やる気のなさは、今始まったことでもないですが。
なんか、自分でも呆れるくらい活気がない自分です。

家に篭るのは嫌いじゃない、毎日家に居て退屈することも
あまりない。
読んだり、縫ったり、書いたり、テレビ見たり 忙しい
くらいでもありますが、マッたまには外出もしたくなるかな。

畳一畳ほどの場所(一畳農園と名付けております)に、今は
芽が出たジャガイモを三個埋めておいたら大きく葉が茂って
、先日、その一本を掘ってみましたら、きれいなじゃがいもが
両手に余るほど出てきました。
さっそく、油で炒め、甘辛く味付けして夕ご飯のオカズにしま
した。プランターのエンドウ豆を散らして。


コスモスが大好きで懐かしい花なので、つい種を買ってしまいました。
どこにも蒔く場所も無いのに。 卵のパックに一応種を撒いておきまし
た。どこか移植する場所を作っておかなきゃいけません。
夕顔の花も一本位欲しいし、インゲン豆も芽がでてるし、欲張りすぎて
しまったみたいです。

      🐶  🐱  🐶  🐱    

検察庁法改正案 気になっていた成立が先おくりになったようです。
関連の記事や報道番組を見ておりましたら、ある番組で、元検察庁
東京地検特捜部部長を定年された熊崎勝彦氏のお話を聞くことがで
きました。 
・・・わたし、目がハートになりました。

毅然とした態度、理路整然と分かりやすく、迫力があって男らしい。

あなたが、黒川氏の立場ならどうしますか? とMCの松原氏に
問われたとき、熊崎氏は 正道を歩む。・・・察してください・・
と、応えていました。
熊崎氏は78歳だそうですが、こんな男性と人生を共にしたかった
こんな素晴らしい男性も居たんだなあ と目が覚めるような思いで
した。 アハハ もう自分自身の下衆さに笑うしかないです。
でも、恋に落ちた気分が一瞬でもしたんですよ。 ほんとうに。 

こんな自粛生活をしている最近の私でした。


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2019年12月28日 (土)

泣くまいとしても涙が後からあとから・・・

夕方近く、NHKの再放送で 彼女は安楽死した という番組を
偶然見ました。

筋力が日増しに衰えて、進行すると呼吸器を使用しなければ生き
てゆけないという難病をもつ50代の女性が、スイスで安楽死を
遂げるまでの記録でした。

二人の姉に感謝の言葉を伝えながら、笑顔さえ見せて眠るように
逝くすがたを見て、私は一人泣きました。

このように、気高く清く、家族に感謝の言葉をつくして旅立ちた
いものです。
こんなに泣いたのは、昨年の夫の最後の情景がよみがえったから
でした。


2月の寒い夜。夫はベッドへ入ろうとして転倒したのでした。
起き上がることもできず、あまりにも痛がるので救急車を頼み
ました。

大腿骨骨頭骨折で即手術をして、経過も順調で、あとは
リハビリを頑張れば、なんとか日常生活ができそう と
いうところまできたのに、誤嚥性肺炎を発症。
その為にリハビリが遅れ、なんとか落ち着いて4月に退院を
強制させられました。
自宅では設備が整っていないので、取り敢えず老健という施設
に受け入れてもらいました。

その施設で、再び誤嚥性肺炎になり、また入院治療を受け
なんとか回復したので、同じ施設に戻りました。
皆さんと一緒にお食事ができて暮らしが始まったのに、また
肺炎をおこし、徐々に弱っていきました。

もう治療も無理、胃ろうという栄養補給も昔、胃の手術をして
あるので夫には出来ない。
鼻からの栄養補給でも、高熱がでて・・・
点滴だけではとても栄養補給にはならない・・・

このまま点滴だけで長くて二か月くらいしか生きていられません。
覚悟してください・・・

そして、医師に告げられたその日から、看取りの日々に入り
ました。
一日 一日がお別れの日に向かっていく毎日でした。

初めのころは、うっすら意識も戻って,にっこりとほほ笑んだり
手をあげて(ような)また来るからね という私の言葉に反応し
たりだったのに、しっかりしている時間が少なくなって・・・

緊急の連絡のために電話はいつも持っていてください
と言われていました。

緊急時、夜間の付き添いを次男が一夜してくれた時には、私は
ユックリお父さんと別れの時が過ごせて良かった と思いました。
海外出張に発つ朝は、珍しく父親の顔を見てから出かけました。
きっと、虫が知らせていたんですね。

数日後、夫が亡くなった時には、長男、次男は海外に・・・

あの時の状況は以前に記したとおりです。


今だから、思い出して話せるようになりましたが、あの
看取りの期間の様子、最後の時間は思い出さないように
していました。

きょう、テレビ番組を見て、安楽死を見守った家族の
方の悲しみが痛いほど私には伝わったのです。
夫も最後は安らかに静かに旅立って、そのことがせめてもの
私の慰めになりました。
慌ただしい年末に、こんな話をするなんて・・・

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2019年9月25日 (水)

今さら泣いてもネ

午後 表の扉をガチャガチャさせてる人が居るので、見たら
私より年下ではあるけど、話が合う気の置けない友人でした。

むかし、取引のあった大手の会社の支店で事務員さんをして
いた彼女とは、フット思い出したときに出会い、お茶をしたり
時には居酒屋やスナックに遊びにいったり(今より若い時)
付かず離れずのお付き合いが続いています。

彼女も、私の夫より4か月先にご主人を亡くされています。

さっそく庭先から居間にあがってもらいお茶しながら近況
報告しあいました。

話は、自然と亡くした連れ合いのことになり、もう、、、
介護の苦労話から、最後の看取りのときのようすまで。

彼女の話を聞きながら、自分の時と重なって、もう涙、涙
話してる彼女も涙で そんなに辛いなら語らなきゃいいのに
と痛ましく思いました。

一年も過ぎて、もうソロソロ慣れて来たのに、時々フラッシュ
バックのように、あの時の情景が浮かぶのよね。
どうしようもなく苦しく切なくて、一人で何度こっそり涙する
ことか ・・・

私はあの時、たった一人で看取り、遺体となった主人を綺麗にし
てくれている間、広~い薄暗い病院のホールの片隅で、葬儀屋に
連絡を入れ、それから次は、、、と妙にシンとした頭で段取りを
考えていました。
そこへ、顔見知りの介護士の男の子が通りがかり(後で考えたら
私の様子を見に来てくれたようだ) その子に 主人がさっき
亡くなったのよ お世話になりました と、言ったのをしっかり
何故か覚えているのです。

そんな自分のことも浮かんできて、彼女と二人で大泣きしてし
まいました。

子供に「お母さんは泣かないね」と言われ、泣いている暇が
無かったと答えたんだよ というと、彼女が 私と同じだよ
娘が、やっぱりお母さんは気が強くて可愛くない と言った。

その泣かない、可愛くない母親の私たちは、手を取り合って
夕方まで思い切り泣いて、話して、最後はいつものように笑って
やっとスッキリして、彼女は帰っていきました。

どうだっ! 私らだって泣くときもあるんだぞ。

彼女家のお墓は、本当に偶然で、私の家の一列斜め前だったのです。
数年前 分譲された小さな小さなお墓ですが、しっかり者の彼女は
ヤッパリちゃんと用意してあったんですね。
私と同じ頃に・・・

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